後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2017年11月4日土曜日

200km〜205km《若木》

確か、残り45kmのエイドだったんじゃないかと思います。みずき(敬称略ほんとにすみません)に抜かれた場所。

寝ぼけまなこでみずきの姿を認めた瞬間、「ぬかった…!」と思った。寝首を掻かれた気分だった。「謀られた!」とも思った。
赤いマントを翻して、みずきはすぐに駆けて行った。
負の感情が爆発した。

抜かれるそのとき、その瞬間まで、わたしは一体何を考え走っていたのか。以下の通りです。
「今年は『日本人女子1位でした』って言〜おう」。るんる〜ん。ぽわわわわ〜ん。……のんきなプランでした。
……あの、わたし、去年のスパルタスロンで日本人女子1位でした。でも言えなかったんです去年は。絶対まぐれだと思ったから。ただ、まぐれだとは思いつつも、内心すっごくすっごくうれしくて、そのうれしさがあんまり大きかったせいで完走文も書きづらかった。なんか順位にこだわっちゃうところがいかにも子どもっぽかったし、そんな自分が恥ずかしくてちょっと言いそびれてしまって、だけど、「今年も1位とれたら、もうまぐれじゃないよな! 隠すことないよな! うれしがってもいいよな!」って。もうすっかり1位とった気でいたんです。
「日本人女子1位!」言うぜ〜! イエーイ。って。
つくづくおめでたい自分なのでした。

だから、ここでみずきに抜かれたら、2年分の日本人女子1位がなかったことになってしまう。必死でした。絶対抜かれたくなかった。わたしはケツの穴ちっせえから、順位とかタイムとかすごい気にするんですと思った。みずきさんはそういうの気にしないんでしょ? 譲れよと思った。

大会前日の昼食のとき、間違えてみずきさんといっしょの席になりました。
そのときみずきは「私、仮装するから〜。ゆるゆるジャーニーランで行く〜。」って言った。「練習不足で完走危うし〜。」って言った。わたしは心の中で「うし。」と思った。語尾。「うし」。
「へえ、そうですか。」と思った。真一文字に口を結んで、「どうぞどうぞごゆっくり」と思った。「ゆるゆるジャーニーラン、へえ。何卒お楽しみあれ」と思った。

わたしはスパルタに本気で挑んだ。みっともないほど真剣だった。
なのになぜわたしは、ゆるゆるジャーニーランの女に抜かれているのだ。
みずきのマントが風にハタハタ笑っていた。おちょくるようなはためきだった。

負けたくないと強く思った。
強く思うと足が動いた。
死んだとばかり思っていた足はいま、新品だった。
呆れるほど走れた。

先行する外国人を何人も抜いた。でもみずきには迫れない。
外国人はただの風景に過ぎなかった。わたしの行く道にはみずきと、あとはまとめて「みずき以外」。実在するのはみずきだけだ。
標的を固くみずきにロックオン。オンリーみずき。みずきオンリー。

みずきがうしろを振り向いた。みずきの背から、視線は寸分たりとも動かない。振り向く姿に確信した。みずきもこちらを気にしているのだ。距離は少しも縮まらなかった。それでもまだ、離されてもいなかった。離されちゃだめだ。諦めちゃだめだ。

このスピードのまま、足はどこまでもつのだろうと思う。
どうしても距離は縮まらない。
だめかもしれないと思う。せめて目で殺そうと思う。目で殺しても傷害罪に問われるだろうかと思う。でも裁判官にはこう言う。
「だってみずき、仮装でゆるゆるジャーニーラン、って……!!」

わかるかなあ。仮装が悪いなんて言ってない。仮装だろうがゆるゆるだろうがジャーニーだろうが、各々の走り方でもちろん良い。すばらしい。ただ、ゆるゆるとか言ってたやつに負けたくないと思うのは人として、自然な心の動きでしょう? お情けあれ!

裁判官への直訴は続く。

その上みずきはおっぱいもでかいんです! あんなデカ乳ふたつもくっつけて、そんなの走りにくいに決まってるんです!! それなのに!! こっちはパイふたつぶん、速くなきゃいけないのにそれなのに!! わたしはただもう悔しいんです! 自分が情けないんです! 非常にみすぼらしいんです! せめておっぱいのぶんだけでいい、負けたくないと思うんです! 大好きなおっぱいに!

論点が逸れていた。
距離は縮まらない。
みずきももう振り向かない。
だめだ追いつけない……。

カーブでついに見失う。
戦意を喪失しそうなところで、坂道の先にエイドが見えた。みずきが見えた。みずきは、……!!
みずきはエイドで補給をしている!!!!!

エイドをすっとばして走るのはわたしの唯一の特技です。大会前いつも無茶なダイエットをしているせいで、飢えながら走ることには慣れていました。

わたしはエイドに寄らない。みずきはエイドに寄る。それなら勝機はある。

エイドでバナナを食べているみずきがこちらに首を捻った。
その背はどんどん大きくなった。
追いついた。

みずきが振り向きざま満面の笑みで、「くるみちゃんこわいんだけど〜!」と明るく言った。
わ〜。いい人だなあとわたしは思った。
「こわいでしょう、ごめんね。」口から言葉がこぼれた。
顔は硬直したままだった。得意のつくり笑顔ができなかった。言葉は本心だった。露骨な闘志を恥じ入りながら、目には闘志がむき出しだった。
みずきはひるんだように見えた。

抜いた。



《主役バナナじゃん》